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”スクラップブック、洞窟のその先に。”


『風景でいよう』 #6

 

 スクラップブックというものへの憧れを持ったのは、映画『レッド・ドラゴン』を観てからだろうか。丁寧に切り貼りされた新聞記事、その隙間を埋め尽くす膨大な手書きの文字。肉体が残した様々な痕跡が丸ごと吸い込まれるように、ひとつの本に収まっていた。その映画においては、そこに内面の苦悩や葛藤を刻み込まなければならなかった焦燥感が、その本の存在感(インパクト)そのものだった。その存在の密度に強く心を惹かれた。



主題、素材の選択、配置の方法、リズム、書法など、すべてを自分の奥底から引き出してくるのであって、(中略)ここに見られるのは、自分自身の衝動からのみはじめて、すべてが再発明された、もっとも純粋で、生(き)の芸術行為である。

(『文化的芸術よりもアール・ブリュットを』ジャン・デュビュッフェ)





 芸術教育を受けていない者が創り出すアート、即ちアウトサイダーアート(アール・ブリュット)を評したこの言葉は、スクラップブックが持つ独創性と共鳴する。未開の洞窟を無防備に潜っていくように、「自分の奥底」へと下降する。一見危ういその行為が、いかにして強烈な表現へとつながるのだろうか。


無限性はわれわれのうちにある。生に抑制され、慎重によって抑止されるが、これは、孤独においてふたたび力を恢復する一種の存在の膨張とむすびついている。われわれは静止するとたちまち別の場所にいる。すなわちわれわれは無限の世界で夢みているのだ。無限性は静止した人間の運動である。

(『空間の詩学』ガストン・バシュラール)


 スクラップブックの魅力であるその断面は、貼り付けられた切り抜きやオブジェクトによって―子を孕んだ女性の腹部のように―膨れあがり、神秘的な姿を晒し出す。それは一所に佇む「静止した人間」だけが行き来することの出来る、無限の洞窟のなかで見出した幾千もの風景が降り積もった堆積であると同時に、ひとりの人間が抱える無限性を秘めておくための隠れ蓑でもあるのだ。しかし、それが他者にとってもやはり魅力的なのは、それが本として常に誰に対しても開かれた存在であり、我々が自らの無限性から他者の無限性の洞窟を掘り当て、そこに潜り込むことに大きな希望と喜びを見出せるからなのかもしれない。



(初出:「POPEYE」 2012 OCTOBER Issue787)

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