解対照〈第一部〉(2012.04.01) アーカイブ#3 「影」
永井祐介(以下、永) 次の写真にいきましょう。こちらも『パイロン』からですね。キーワードに「影」とありますけど、これはさっき話していた、スタンド(幽霊)みたいなもので、自分の影が撮っている感覚ということでもありますね。 佐内さんはとても具体的に撮影した場所や、映り込む影について説明されますよね。先日のトークイベントでもそうでしたが、写真集として発表された後に、しっかりと説明されているのが、佐内さんらしいと感じました。
佐内正史(以下、佐) さっきも話しましたけど、「写真を撮る機能」と「プリントの機能」は違うんです。撮っている時は直感でシャッターを押していて、後でプリントを見返した時に「こういう風に見れるんだな」っていう気づきがある。この写真で言うと、中央に木の影があることに、現場では気づいていませんでした。それは印刷物を見た時に現れる機能ですよね。 俺がこの印刷物を見て思ったのは、この中央の木の影が 、右側は青いのですが、左側は茶色いんです。この影の色が違うところが、すごい綺麗だなと思った。影の色はグラデーションで変化していて、下手側の左の木の影の色も結構変わっていっているんです。
(永) そうですね。
(佐) 最近よく見ていると、影には驚くほどいろんな色があることに気が付いたんだよね。『パイロン』を出してから、そういった写真の綺麗さを発見できたように思って。
(永)一番下のキーワードが「写真っぽい」。今日もすでにお話の中で何度も「写真っぽい」という言葉が出ています。
(佐)言い方がよくわからないから、「写真っぽい」と言ってしまっているんだと思うけど、言葉で説明できないようなことがいっぱいありますよね。先ほどの「影」や「真っ直ぐ捉える」「彩り」「偶然」とか。そういったことが「写真っぽい」ことかなと思うんですよ。 このスポーツセンターの写真は、もう少し下振りにすると、影がぽっと出てくるんだけど、少し上に振って撮ってます。下の影が多すぎると、今の自分の、真っ直ぐな感じとは違うんですよ。 そうすると、こういう青が映ってきて「あ、ここかな」と思って撮る。明らかに「こう撮りたい」と思って撮ってますね。
(永)撮るときに全て決めておいて、焼くときにトリミングはしないんですか。
(佐)しないですね。トリミングすると、センターがずれてきちゃうんだよね。少し雑誌みたいにしようと思ってトリミングすることはあるけど、俺は割と真面目だから、俗っぽいことが苦手なんだと思う。
「隙間」 (永) 佐内さんの写真集『浮浪』はもう入手できない貴重な本ですが、その中の2枚の写真を見開きで配置しています。 キーワードにもある「隙間」が気になる写真ですね。
(佐)これは京都で撮影したんだけど、自分が全然知らない場所を2時間程歩いていると、馴染む瞬間が来るんですよね。最初はなかなか撮れないんだけど、その内に馴染んできて撮れるようになる。大きなカメラを持っていて、構えると通行人に意識されてしまうけど、だんだんと誰も気にしなくなってくる。さっきの「なじむ道」の話にも繋がるけど、そうするとピシピシ来て、撮れ始めるんですよ。電柱と電柱の隙間なんかも見えてくるんです。
(永)この二つは同じ場所ですけど、撮る角度が違います。でもどちらも電柱と電柱の隙間に、車のバックガラスが見えている。撮る時にはっきりと意識してはいないのかもしれないけど、ピシピシ来ている感じなんでしょうね。
(佐) 後から気付くんだけど、その隙間はその時見てるんだと思う。それでここに決めているので。 なんか急に一体感を感じる時があるんですよ。
(永)佐内さんがお好きな麻雀をやっている時も、「俺写真になっちゃうんだよね」っていう話をしてたじゃないですか。集中して疲れてくると、幽体離脱じゃないですけど、自分の幽霊みたいなものが出てきて、ピシピシきちゃうような感覚があるんでしょうね。
(佐)やっぱりそういう厳しくて険しい道の中に光があるんだと思います。麻雀やっていても、急に我を忘れて、風景になってしまうような時があります。そういう瞬間は長くは続かないけれど。ずっと続いていたら石ころみたいに、人間じゃなくなってきちゃうよね。 『ジョジョ』でも「俺は人間をやめるぞ!」というディオの名言があったけど、俺はやめない方がいいと思っています。やめません。
(永)僕もライブを見てる最中に、ふとアイデアが浮かんできたりします。佐内さんも普段から深く思考されている中で、麻雀などをすることで、集中力が分散されて気が付かれたりすることがあるのかもしれませんね。
(佐)それぞれのタイミングがあると思いますが、例えば車の中で音楽を聞いていても、一瞬「お!」って急に入っちゃったりして、「危なかったー」ってなったりとか。そういう風に写真を撮ろうとは思っています。 この間も運転していて、埼玉の方だったんですけど、「いいな」っていう感じがあって、写真に撮ったんです。その後にプリントを見ると、「俺はこの時、ここの木とガソリンスタンドの感じ、それから右に分かれる道に触れたんだな」って具体的に分かってくる。そういうのが写真の良いところかな。今の隙間の話もそうだけど、意識はなくなって撮ってるわけですよ。ぼんやりして、なんか疲れて。でも後から見ると「俺はここにピシピシきてたんだ」って具体的にわかるんだよね、
(永) そういった、写真を後から見ることの効能に気が付いたのは最近だと仰っていますが、レーベル「対照」を始めるきっかけは何だったのですか?
(佐)「 わけわかんないところに行きたい 」というのはあったと思うんですよ。上京して、出版社から写真集を出すことができたけど、色々出している内に「自分が思っていたのと、ちょっと違うかも」と思ってきて。それで自分のもっと単純な道を行こうと思って、始めたんだと思います。 出したい時に出して、出したくないときには出さなくてもいいし。自分でお金を稼いで出せばいいわけだから、あまりストレスのないやり方かなと思って。
(永)「対照」を始めるのと『浮浪』を作るのは、同じタイミングだったんですか?
(佐) 同時ぐらいかな。『浮浪』を作っていて、 「これは出版社で出すよりも、自分のやり方でやった方がいいな」と思ったんですよ。「もう少し売れるものにしてほしい」とかいう話があったりして、それならやっぱり自分でやった方がいいので。今は売れるものに興味がないというか、売れないものの方が綺麗かもしれないと思っていて。売れないままで作っていった方がいいように感じています。わざとそうしているわけではないのですが。
(永)はい。
(佐)ハードコアになっていっちゃうんですよ。『パイロン』も『ラレー』も結構コアな内容だから、そんなに売れないと思うんですよね。知人の中には、「グルメ本にした方がいい」と言う人もいたけど、「それは俺のなじむ道じゃないな」と思って。そういう風にナチュラルにできる人もいますけど、俺は意外と硬いから。もうちょっとぐにゃぐにゃした煙みたいになりたい時もあるんだけど、なかなかね。そういうのは、そういう人に任せて。
(永)なるほど。
(佐)でも、そういう煙みたいな人も好きですよ。けむに巻くようなタイプとか。