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Essay

小屋の宇宙、この手の届く処から。

Series Essay
『風景でいよう/Scenic World』 #8

#Scenic World, #writing

小屋を建てたいと思う。小さな小屋。レオナルド・ダヴィンチが描いた『ウィトルウィウス的人体図』の、人体が描く正円と正方形が幾許(いくばく)か拡張されたような空間。それは千利休がつくった二畳の広さの茶室『待庵』を訪れたときに感じた、狭苦しさとは無縁の、大宇宙(マクロコスモス)的空間の存在に思いを馳せることでもある。


極めて狭小、簡素の茶室は、かへって無辺の広さと無限の優麗とを宿してをります。

(『美しい日本の私』川端康成)  

建築家ル・コルビジェは自らの両親のためにレマン湖畔に『小さな家』を建て、また自らの養成地カップ・マルタンでの住処として、わずか八帖ほどの小屋を建てた。


四方八方に蔓延する景色というものは圧倒的で、焦点をかき、長い間にはかえって退屈なものになってしまう。このような状況では、もはや〝私たち〟は風景を〝眺める〟ことができないのではなかろうか。景色を望むには、むしろそれを限定しなければならない。

(『小さな家』ル・コルビジェ)