生まれながらにして全色盲、つまり「色」を知らずに生きてきた。それはさして不自由なことでもなく、世界は白と黒、その濃淡によってあるべき姿を示していた。それがある日のこと、突然の強烈な光に目が眩み、次に目を開くと、そこにはかつて体験したことのない「色に溢れた」世界が広がっていた。それはほんの数分間だけの出来事だった。それからというもの、一年にただ一回、やはり数分の間だけ色を見ることが出来た。それが単なる夢ではないと確信してからは、限られた時間のなかでより多くの色を自分の脳裏に残すため、あれこれ画策し始める。そして本や映像だけでは感じられない、世界の様々な「色」に出会うため、旅に出ることを決意する。
ある日頭に浮かんだこんな物語がキッカケで、脳神経科医であるオリバー・サックスが、自身の患者について記したエッセイ『色盲の画家』と出会う。その患者は六十五歳で遭った交通事故で脳震盪を起こし、それが原因で全色盲になってしまう。それまで画家として「視覚的、色彩的才能を注いできた」その人生から、突如として色が失われたのである。
『好きな絵の色はすべて知っているのに、現実に絵を前にしても、頭のなかですら、その色を見ることができなかった。いまとなっては、色は言葉による記憶でしかなかった。』
(オリバー・サックス『火星の人類学者』)
このふたつの物語が交差した頃、自分にとってモノクロ写真を撮ることが、世界を見渡す有効な手段だった。自分の視線が白と黒に分解されることで、普段は見過ごしてしまうような、モノの純粋な形や質感に触れることが出来た。そして次第にそれは写真の上だけではなく、視線に新たなフィルターが加わるようにして、日常におけるものの見方を大きく変化させた。それは目に映る全てが、自分の意識次第で形や質感を変化させてしまうことの出来る「材料」であり、それは自分を奮い立たせる無数の発火点だということ。
先述した患者は苦悩の末、『色盲を新しい感覚と存在の世界への扉を開いてくれた奇妙な贈り物だとすら考える』ようになった。自分を囲うあらゆる「制限」は、発火点を境にして大きな「可能性」となり、ひとつの景色からいくつもの「風景」を引き出してくれる。