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「Pendant 1957-2018」連続対話シリーズ vol.4

東野翠れん×ロナ(母)×カヤ(妹)

写真から浮かびあがる家族へのまなざし

本展の東野翠れん作品において、自身の子供の誕生と成長の日々は重要なモチーフとなっているが、もうひとつきっかけにあるのが、母方の祖父の存在だった。今回の鼎談では、東野の母であるロナさんと東野の妹のカヤさんに話を伺った。本展作品の背景、そして東野の感性がどのように育まれたのか。その創作の向こう側を探る。

〜おじいちゃんの小さな箱〜

ーーロナさん、今回翠れんさんがあなたのお父さんを題材のひとつに作品をつくりましたが、どうして翠れんさんは自身のおじいちゃんに興味を持ったと思いますか?

 

ロナ:まずは私の生い立ちからお話すると、私はイスラエルでイギリス人の母とポーランド人の父の間に生まれました。小さな頃に両親は離婚して、妹と一緒に母に育てられました。だから父とは離れ離れで暮らしていました。そのこともひとつには関係しているのかなと思います。子供の頃は妹と一緒に父に会いにいくことはありましたが、父が写真を撮ることが好きだったこと以外、毎日どんな暮らしをしていたのかはほとんど知りませんでした。

 

ーー今回の展示作品にも小さな頃のロナさんが写った写真が何枚かありますね。

 

ロナ:その写真が撮られたのは両親の離婚の前だったと思う。私が1953年、妹が1957年に生まれて、両親は1958年に離婚しました。私が4歳半の時だった。

 

ーーお父さんが撮影したロナさんの写真を拝見して、子供の頃のロナさんと翠れんさんのお子さんがそっくりでびっくりしました。

 

ロナ:今回の作品をみてもその血の繋がりを感じますね。誰かが生まれて、誰かが死ぬ、その時間の繋がりを感じます。

 

ーー2015年に翠れんさんが、おじいちゃんの遺品の中から「motherhood」という言葉が書かれた紙を見つけた訳ですが、ロナさんはそれを見てどう思いましたか?

 

ロナ:すごくドキッとした。そしてとても感動した。

 

ーーおじいちゃんはどういう気持でその言葉書きしるし、小さな箱に大切にしまったと思いますか?

 

翠れん:そうですよね。私は男性であるおじいちゃんが「fatherhood」ではなく、なぜ「motherhood」と書いたのか、そこに興味があります。

 

ロナ:そもそも英語では「fatherhood」という言葉はそんなに使わないからね。当時は少なくとも。おそらく父は自分の目ではなく、多分私の母の目で見ているからそのように書いたのでしょう。

 

翠れん:客観的、ということなのかな。

ーーその紙が入っていた箱はそれまで誰も見たことがなかったのですか?

 

翠れん:はい。縦長の小さな箱でそこには現像済みのフィルムと写真、そして何枚かのメモが入っていました。

 

ロナ:あれは父が亡くなって遺品の整理をしに、イスラエルに帰った時のことでした。当時は父の再婚相手も施設に入っていました。それで家を売るために妹と一緒に父の家の整理をしました。その家には父の持ち物がたくさんあって、必要なものだけを妹の家の地下室に移動しました。

 

翠れん:あの箱を見つけたのは、2015年にイスラエルに帰った時に、ものが溢れるその部屋に子どもと一緒に寝泊まりしながら、そこにあるものを整理していた時です。Kodakの小さなマークが付いた古い箱で、そこには生前の祖父がある程度選別したであろうネガとプリントが入っていました。そこにノートを切り取った何枚かのメモが入っていて、その中にmotherhoodと書かれたメモもありました。

ーーどのような思いを託しその箱に入れたのか気になりますね。

 

翠れん:メモには、その箱に入っていたネガの番号と、写真の内容が分かるような、なにか一言が書かれていました。おじいちゃんは整理することが得意で、亡くなった時にも持ち物が整理されていたんでしょ?

 

ロナ:全部整理されていました。父とは物心付く前に別々に暮らしていましたから、本当に毎日の暮らしぶりは私にはわかりませんでした。でも、妹はファイリングがものすごく得意で、必要なものが欲しいときにすぐに出せるくらいに整理していました。私は真反対(笑)。

 

カヤ:それで遺品の整理におじいちゃんの家に行ったときに、叔母の整理上手なところはここから来てるんだと思ったんだよね?

 

ロナ:そうそう。彼の持ち物を納めた箱には、タイトルがあって、それと中身がすべて合致していました。

 

ーーそれは終活とかではなく、日常的に整理していたんですね。

 

翠れん:そうなんだと思います。

 

ーーそのおじいちゃんの遺伝子はどなたか受け継いでいますか?

 

翠れん:誰も受け継いでいません(笑)。母も妹も私も、何かを見つける時には半日はかかります。

 

ロナ:でもそれが出来る人と出来ない人とでは人生も変わると思う。

〜長さでは計ることの出来ない大切な「時間」〜

翠れん:ロナが自分の父親はどんな人なんだろうと知りたがっている、というのは私が子どもの頃から感じていました。ロナは人に対して人一倍好奇心がある人だけど、それが自分の父親にも向けられていました。おじいちゃんはポーランドに生まれ育って、戦争で私たちが想像も出来ないことを体験しました。当時のことはロナにも話したがらなかったし、ポーランドには一生戻りたくないと言っていたと聞きました。

それでロナが私が子どもの頃に父親とやり取りしていたことを私は知っていました。おじいちゃんからは手紙と一緒にカセットテープが届き、その中にはおじいちゃんがボソボソと話している声が入っていました。それを夜中にロナが一人で聞いていたのを憶えています。

 

ロナ:え〜、それは初めて聞いた!

 

翠れん:ロナは世界中を旅して、日本で父に出会い結婚して家庭を築きました。故郷を離れているから、間接的におじいちゃんに近付こうとしていたのを感じていました。

 

ロナ:バレてた(笑)。母は若くして亡くなったから。離れていた時間が長かったけど、父の方が私には近い存在だったんです。

 

カヤ:サバ(おじいちゃん)とはどのくらいの頻度で会っていたの?

 

ロナ:ちょっと分からないけど、父は母とは別れたけど、私たち姉妹にとってはお父さんだから、家にも遊びに来たし、彼の家に遊びに行ったこともあった。でも、彼はそのあとヨーロッパとアフリカに15年くらい住んでいた。その頃も1年に2回くらい会っていたと思う。彼のイスラエルの家は私の家から南に行ったビーチの近くだった。そこまで連れていってくれて、金曜と土曜を過ごした。まだ小さな翠れんと一緒に、オランダのデン・ハーグの父の家に遊びに行ったこともあった。

 

翠れん:うん。おじいちゃんから緑色のワンピースを貰ったのを憶えている。

 

ーーカヤさんが生まれていない頃ですか?

 

翠れん:はい。カヤとは7歳離れています。おじいちゃんとは近くにいる時は必ず会っていたよね。

 

カヤ:私が生まれた頃にはおじいちゃんはもうイスラエルに帰っていたから、私がイスラエルに帰る時には必ず会っていました。おじいちゃんと街で落ち合って外食したり、お茶をしたり。

 

ーーカヤさんにとっておじいちゃんはどんな人でした?

 

カヤ:私にとってはお母さんのお父さんで、会いにいくたびに会えるおじいちゃんという感じでした。だから母と暮らしていなかった時間があったなんて考えたこともなかった。

 

ロナ:カヤは私のお母さんのことは知らないから。

 

ーー翠れんさんにとってはどうですか?

 

翠れん:私はおばあちゃんが亡くなる時に、母と一緒に計1年4ヶ月くらいイスラエルに住んでいました。その時初めて、死というものを間近に見て感じ体験しました。それはすごく不思議な時間でした。家で看病を手伝っていて、わずかな時間だったけど、今も心の中に大きく残っています。「イスラエルに揺れる」という本はその記憶があったから書けました。

おじいちゃんの写真とメモを見つけた時に、おじいちゃんのことをどれだけ知っているかは分からないけど、自分の今とおじいちゃんを繋ぐトンネルを見つけたという感覚がありました。

 

ーー翠れんさんにとってとても大切な記憶になっているんですね。

 

翠れん:イスラエルに行くたびに、おじいちゃんが撮った写真を、叔母の家の引き出しの中から探して見ていました。

そこには小さな頃の私の姿や、その小さな私と同じ歳くらいの母も映っていました。

〜家族というかけがえのない繋がり〜

ーーそれまではおじいちゃんの手紙みたいなものはあったのですか?

 

翠れん:この時初めて気が付きました。

 

ロナ:そうね。父はそういったものは見せてくれなかったの。プライベートな部屋にしまわれていて、他の女の人と再婚していたから父が亡くなるまで見ることはできなかった。

 

ーー男と女の違いもあるんですかね?というのも男親ってあまり多くを語りたがらないところがあると思うんです。おじいちゃんは自分のことをよく喋る方だったんですか?

 

ロナ:彼はすごい頭がよくて社交的、ファニーガイで、シガーも好きでとてもダンディな人でした。

 

カヤ;間違えて消しちゃったおじいちゃんの音声があって、ロナは何年もそのことを言っていたよね。あれには何が入っていたの?

 

ロナ:父が死んだ日のインタヴュー。2012年のこと。音声は消えちゃったけど、今も私の心の中にある。父が危篤だとイスラエルの妹から日本に住んでいる私に電話があって、次の日にイスラエルに帰った。私がイスラエルに向かっている間に、妹が父に「ロナが来るよ」と伝えてくれて私がイスラエルに到着した夜、父は元気になったの。それで私が行って2日目の夜に亡くなった。私がそばで看取りました。

 

ーー翠れんさんは生前のおじいちゃんのことも知っていたけど、亡くなってからこの写真に出合い、より身近に感じるようになったのですか?

 

翠れん:どうなんだろう。新しい気づきは確かにありました。motherhoodと書かれていた紙があって、一緒に入っていた写真もあるんだけど、そこにはおじいちゃんは写っていませんでした。でも本人の視点が感じられて、どこにそれが向けられているのかは分かりました。その写真からおじいちゃんの目が「家族」に向けられていたとはっきりと感じられたんです。

写真って必ずしも真実を写すものではないとは分かっているのですが、その写真からは家族のことをしっかり追いかけていることが伝わってきました。その直後には2人は離婚をしているんだけど、その写真には愛が溢れています。だからこそ、家族にはいろんな面があるんだと感じました。

それとロナにとっておじいちゃんは人としてとても魅力がある人だということが分かりました。それが写真に写っていて、この写真をみて、私も一層おじいちゃんに興味が湧きました。

 

ロナ:でも翠れんだけでなく、私もあらためて父に興味を持った。9.5mmの映像もあるんだけど、それを見るととてもびっくりした。本当に感動した。父はファミリーがやっぱり好きだった。見たあとすぐにイスラエルの妹に電話しました。「ダディはマミーのことをものすごく愛してた!」。そうしたら妹も「もちろん!」と言っていました。でも離婚した。お母さんが出ていったんです(笑)

 

ーー今回その時の写真や映像をひとつのモチーフに翠れんさんが写真展を開催しますが、それを聞いてロナさんはどう思いましたか?

 

ロナ:すごい感動した。「moterhood」もそうだし、その映像の中に私の父が撮影したお母さんの姿を見ました。そこに人生の流れをすごく実感した。翠れんは「Pendant」という作品を作ることで、自分が関わっている時間を見つけたと思った。それはとても素晴らしいこと。日本だとそれは一般的にあって、家に仏壇があるでしょう?Pendantは翠れんにとって仏壇になると思う。みんな今を生きている奇跡のように、血の繋がりを感じたいじゃない?ひいおばあちゃん、おばあちゃん、お母さん、私というように。

翠れん:私はホリデーにイスラエルに帰るくらいだったけど、カヤは高校を卒業してから自分の意志でイスラエルに行ったんです。私にとってのイスラエルはそのトンネルを辿ってやっと行く場所なんだけど、カヤにとってはとてもフレッシュな記憶なんじゃないかな?

 

ロナ:留学していた時におじいちゃんとは会っていたの?

 

カヤ:叔母と一緒に時々会っていたよ。おじいちゃんはいつも黄色い車に乗って会いにきてくれた。

 

ーーカヤさんにとってイスラエルとは?

 

カヤ:翠れんにとってのルーツのような思いはもともと全くなくて。翠れんは子どもの頃に何年か住んでいたから、今はヘブライ語が少し分かるけど、でも高校三年生の時に同じイスラエルと日本のハーフの幼馴染がイスラエルの大学に進学すると聞いて。その時将来について何も決めていなかったので、それが一番楽しそうだと思い、イスラエル行きを決めました。どうせ行くならヘブライ語も勉強しなきゃと思って、喋れるようようになると友達もできて、だんだんとイスラエルが楽しくなって。18歳くらいのときからイスラエルが好きになって、自分でもイスラエルとの繋がりを掘るようになりました。

 

ーーカヤさんはイスラエルとはどんな繋がりを見つけましたか?

 

カヤ:どうなんだろう。でも翠れんとは全く違う気がする。より現代的なイスラエルというか。踊りに行ったり、海にいったり、たくさん友達ができたし、ただただ好きなことをしていました。帰国してからは、日本の友達にイスラエルのことを話したり。それと家族ともそれまでは恥ずかしくて一緒にリラックスするような感じじゃなかったけど、イスラエルで1年暮らして、叔母やおじいちゃんとダラっと過ごしたら、前までは「親せき」と思っていたけど、自然と「家族」になっていました。

 

翠れん:カヤは高校まですごく恥ずかしがり屋だった。イスラエルから帰ってきて、すごく「開いた」よね。

 

ーー何がそうさせたんですかね?

 

カヤ:ヘブライ語もそうだけど、1年間イスラエルの同世代の友達と過ごして英語が上達して、単純だけどそれも自信に繋がったのかな(笑)

 

翠れん:そうなんだ(笑)。イスラエルでは、黙ってうなずくだけなんてありえなくて、自分の主張をさせられるからね。

 

ロナ:家でも外でも朝から晩までディスカッションだらけ。外国の人が見たらまるで喧嘩しているみたい。

 

カヤ:見た目からしてイスラエル人は出している熱量が違うよね。他の国でイスラエル人がいると、あの人イスラエルの人?と分かるくらい。いろんな表現が激しい。

 

ロナ:イスラエルで日本の話を聞かれることがあるけど、うるさいと静か、よく話すとよく話さない、いつもイスラエルとは真反対と答えます。

 

ーーそういう日本にロナさんはいるんですね。

 

翠れん:でもロナの中にはイスラエルの人とは真反対なものも入っているのかな?

 

ロナ:それは血の中に入っているものの影響だと思う。お父さんはポーランド人でお母さんはイギリス人だから。お父さんは戦争の前、お母さんは戦争の後にイスラエルに行った。そこで私が生まれた。

 

カヤ:イスラエルは1948年から国として独立した。お母さんは純イスラエル人としては二世代目なんです。

 

ロナ:カルチャーのミックスはあると思う。これは日本人にはなかなか分からないことかもしれない。西と東、北と南、それをミキサーの中でブレンドしたところがイスラエルだから(笑)。

 

カヤ:でもアジア人はあまりないよね。

 

ロナ:イスラエル人はアジアにはあまりいないからかしら。

 

ーー翠れんさんの写真好きはおじいちゃんからの遺伝ですか?

 

翠れん:わかりませんが、おじいちゃんの写真で海で船を写した写真があるのですが、それを見た時に私も同じような写真を撮っていて、親しみを感じました。でもロナもカメラが好きだったし、父も写真が好き。父の写真を見て、変わった写真を撮るなあという印象はいつもありました。

すごく小さな時に母とおじいちゃんを訪ねてオランダに行った話をしましたが、「オランダの光」という映画をみて、わたしもフェルメールやレンブラントが見た光がいまもあるんだろうかと、唯一写真を撮るためだけに行ったことがあるのがオランダです。

ーー光の捉え方なんですかね。オランダは光というか、光の捉え方が独特ですよね。

 

ロナ:そうね。オランダの雰囲気は翠れんの写真にも感じるね。翠れんはまさにいま「Parenthood」の真っ最中にいて、そのタイミングで父の「mothehood」の文字と写真に出合った。それは翠れんが選ぶのではなく、DNAの話、血の中のこと。だからよりそこに運命を感じたんだと思う。

カヤ:あと翠れんは仕事としても写真を撮っているけど、日常の中で撮っている写真を作品として人にみせたり、何かに使ったりすることが多い。何か目的があって撮るのではなく、自分で撮ったものがあとあと作品になる。

写真が生活に深く繋がっているから、その上そこに家族との繋がりを見出すことでさらに特別なものになる。だから今回の「Pendant」でもおじいちゃんの写真を見つけたことで翠れんなりの繋がりを感じて、より強いものになったのかなと思う。

 

翠れん:そうかもしれない。写真と生活が地続きにあるのもそうだし、おじいちゃんの写真も今私がやっていることを辿っていった先にあって、もう何十年も前のものだけど、たまたま目の前に現れただけなのかもしれないね。

文と写真=加藤孝司

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