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「Pendant 1957-2018」連続対話シリーズ vol.2

東野翠れん×小林エリカ(作家)×湯川潮音(音楽家)

過ぎ去る時間を照射する光

対話企画2回目のゲストは、マンガ、小説の分野で活躍する小林エリカさんと、アーティストの湯川潮音さんです。これまでお互いの作品や、イベントでの共演もある3人。女性として、アーティストとして、母として、それぞれの出会いから創作の背景まで、3人との関わりも深い本展企画の岡野隆司(FOR flowers of romance)も加わり、じっくりとお話を伺いました。

〜家族や写真をめぐって〜

小林エリカ:展示はだいぶできているのですか?

 

翠れん:本と展示の構成を考えている段階で、ウェブとインスタグラムが立ち上がりました。今回の写真展では、子どもが生まれて以降の写真を展示するのですが、子どもと過ごした時間や一緒に見たものにフォーカスをしています。

2015年に私の母の故郷であるイスラエルに初めて子どもを連れていきました。展覧会のタイトルとも関係してくるのですが、そのときおじいちゃんの遺品をみる機会があって、そのなかに母や祖母が写ったたくさんの家族写真をみつけました。その写真も作品集や展覧会にくわえられたらと思っています。

 

ーー3人のそれぞれのつながりを教えていただけますか?

 

湯川潮音:翠れんとは同じ歳で、きっかけは翠れんの高校の文化祭でした。学校は違ったのですが、そこでその人がどんな人か知らずに翠れんが撮った写真をみて、すごく素敵!と思って、ずっと頭に残っていました。それで、私がデビューアルバムを出すときに、あのときのあの人に撮ってもらいたいと思って、翠れんに写真を依頼しました。

 

翠れん:直接実家に電話をもらったんです。

 

湯川:その時は、翠れんがモデルとして活躍していることを知らなくて。そうそう、それで会ったんですよね。

 

翠れん:高校3年の文化祭の時でした。その当時はモデルの活動もあったりで、学校が終わってから仕事へ行くことも増えていました。それで最後に思い出になることをやりたいと思って、当時、写真を撮り始めていたので、家族の写真を学校の更衣室を借りて展示しました。

 

湯川:すごく大きな写真もありましたよね。

 

翠れん:更衣室の窓と同じ大きさに引き伸ばした写真も一枚展示したのを、よく憶えています。

そういえば、その時写真をプリントしたのも、今回お世話になっている調布にある富士フィルムのクリエイトという現像所さんでした。

湯川:その翌年にデビューアルバムをだす時にジャケット写真を翠れんに撮ってもらいました。それががちょうど2000年でしたね。

 

ーーそれは翠れんさんにとって初めての写真の仕事ですか?

 

翠れん:記憶が曖昧なのですが、ちょうどロッキング・オン・ジャパンという雑誌でミュージシャンの方を撮る機会があったのですが、時期が重なっているかもしれません。

 

湯川:それで最初にお母さんが電話にでて、その時翠れんに聞かれたのが、どんなジャンルの音楽ですかということでした。「ハード過ぎない音楽なら大丈夫です」とか言われて。まだ、会ったこともなかったですからね。

 

翠れん:そうでしたね。いまは、そんなこと聞かないと思いますが、当時は確認するつもりで聞いたのかな。そのあとに音源とお手紙をいただいて、潮ちゃんの音楽を聴きました。同じ歳の女性でこんな風にものづくりをしている人がいるんだって衝撃を受けたのを覚えています。

〜書く、撮る、という行為〜

 

ーーそのあと「風花空心」(2006年 リトルモア)でしたっけ?あの本は美しい言葉と写真で綴られていて、いまも大切にされている方も多い名著ですよね。

 

湯川:ありがとうございます。きっかけはJ-WAVEのラジオ番組でしたよね。

 

翠れん:はい。それでブログをやりませんかとお誘いいただいて、潮ちゃんが言葉で私が写真、というかたちで一年ほどやりとりをしました。

 

湯川:まだ誰もブログはやっていないような時代で、しかも自分が書いた字ではなくタイプした文字で、たくさんの人に見られるということに最初は抵抗がありました。それで自由なかたちでできるなら、と二人で引受けたんですよね。

 

翠れん:写真はライブに近い感じで、ポラロイドカメラで撮った写真を潮ちゃんに送って、それに言葉をつけたり、それとは逆に潮ちゃんから言葉が送られてきて、それに写真をあわせるということもありました。

 

湯川:そうでしたね。はじめてみると、迷わずに感覚的にやりとりできて、すごくやりやすかったですね。

 

小林:湯川さんはどんな風に言葉を書いていたのですか?

 

湯川:その時思っていたことや、曲や歌詞にならない言葉だけど、残しておきたい言葉、「余韻」ではないけど空間的なものを書いていた気がします。

翠れん:送られてくる言葉は、感覚的にとても近く感じるものばかりで、インターネットというものに対する違和感を越えて、連載を続けることができました。一年ちょっと続いた企画だったのですが、とても楽しい時間でした。

書くことも人によってはアナログな行為だと思うのですが、エリカさんはインターネットには抵抗はありませんでしたか?

 

小林:あまり考えたことはなかったです。私は二人よりは少し年齢が上ですが、高校生の時に独自に小説を書き始めたときは、ワープロで書いていました。

 

翠れん:そうだったんですね

 

小林:それが結構好きだったので、デジタルに関しては最初から抵抗はないというか、むしろ好きでした。でも、実は最近、マンガを手がきに戻したんです。

 

翠れん:そうなんですか!

 

小林:はい。絵も原画にして、いまは和紙とペンという組み合わせで描いています。紙もそれまでケント紙だったものを、「光の子ども」からは和紙に変えて、そうしてみたら、自由な気持ちで描くことができるようになりました。

 

翠れん:それこそ漫画はコマ割りなど決まったフォーマットがあるイメージでしたので意外です。

 

小林:それこそ汚れひとつなく、精巧に描く方向から、それとは逆の方に向かうことで、意識も描くことも文字通り自由になったような気がします。

 

岡野:エリカちゃんのは漫画であって漫画ではないですよね。汚れひとつも作品の表現や、「味」になっていて、それを押し通しているのがすごいですよね。

 

小林:今まで否定していた汚れを肯定した途端、世界がひらけて見えたっていうか。そういうのってお二人はないですか?

 

湯川:同じかどうか分かりませんが、今年の春に子供が産まれて、いま、ちょうど毎日毎日子守唄ばかり歌っているんです。もったいないからそれを録音していて、せっかくだからそれでアルバムをつくろうと計画中なんです。

目の前にはほんの小さな子供がいるから、泣いたり、チュパチュパとかしていて、それが音の中に入っています。そこにはある種ノイズでもある生活音も、その時の空気だからと残しています。

 

小林:想定外のものを作品に取り込んでいるんですね。それは興味深いですね。

 

岡野:そういう感覚って今までの潮ちゃんにはなかったよね。僕のイメージでは彼女は完璧主義者で音に対してものすごくストイックだから。

 

翠れん:面白いですね。

 

ーーそれはお子さんが生まれて、そのようなものも受け入れられることができるようになった、ということでしょうか。

 

湯川:それはわかりませんが、私もどこかでもっと自由にしようと思うようになったんだと思います。エリカさんはなぜ和紙にしようと思ったんですか?

 

小林:紙質も好きだったし、あと汚れやすいところとか、インクのシミが飛ぶと細かく滲む感じが好きです。和紙に変えて、むしろそこを慈しもうと思えるようになりました。

〜交差する時間、生まれてくる時間軸〜

 

湯川:翠れんは転機ってあった?

 

翠れん:振り返ればいろいろあったと思うけど、ここ数年では子どもが生まれたことかな。「ルミエール」(2005年 扶桑社)以降、写真集としてひとつにまとめようという思いはあっても、手作りの本を作ったりするのも好きで、そういうことをこつこつ楽しんでいました。でも、今回作品集や展示ができたらと思ったのは、出産とも関係しているかも。

 

湯川:一般的にはお母さんになると子供の写真ってたくさん撮るじゃない?本業の人ってどうなんですか?

 

翠れん:私の場合、そもそも本業という意識もなくって(笑)。でも、母になって、誰もが愛に溢れた素晴らしい写真を撮ることができるということにあらためて気づかされました。

私自身はこれまでは「場所」も「時間軸」もなく、ただ光に導かれるように撮ってきたところがあって。今回の写真展と作品集に関しては、もうかれこれ2年間くらいやっているのですが、これをつくるプロセスの中で発見したのは、子どもが生まれたことで、時間軸が生まれたという感覚でした。

 

ーー翠れんさんとエリカさんの出会いはどんな感じだったのですか?

 

小林:ちゃんとお話をさせていただいたのは、翠れんさんが「イスラエルに揺れる」(2011年 リトルモア)を出版されたときに、荻窪の六次元のトークでご一緒させていただいたときでしたよね?

 

岡野:確かエリカちゃんの「親愛なるキティーたちへ」(2011年 リトルモア)も同時期に単行本化されたんですよね。

 

翠れん:お話しできることが、とても嬉しかったのを覚えています。

 

小林:そのあと、岡野さんのブランド「FOR flowers of romance/ la fleur」のポスターで翠れんさんの写真に私の手書きのタイトルをのせさせていただくというご縁をいただきました。

 

翠れん:六次元でお話しさせていただくだいぶ前にエリカさんの「終わりとはじまり」(2006年 マガジンハウス)を読ませていただいたのが、作品との最初の出会いでした。エリカさんのマンガにしても小説にしてもそうですが、言葉、時間、空間の重ね方が私にはまったくないものなので、エリカさんがつくる作品がどんな風に生まれるのか、とても興味をもっています。今回、私自身が時間軸を感じたときに、実はエリカさんのことを思い浮かべました。エリカさんの作品を拝見すると、とても大きな時間軸を扱っている気がするんです。その感覚ってエリカさん独特のものだと感じます。

 

小林:それは嬉しいですね。翠れんさんが子供が生まれてから時間軸が見えるようになった理由ってどういうことだったんですか。

 

翠れん:ひとつには、2015年に祖父の写真が出てきたときに、自分の今ではないのに「いま」という時間が見えてきたんです。1957年の写真なのに、2015年の自分と確かにつながっていて、わかれているはずなのにそうではないという感覚を感じました。

 

小林:分かります。私の場合、親が自分より年下だった時代があると考えたときの驚きがとても大きかったです。翠れんさんがおじいさんの遺品の中から写真を発見して、時間軸を考えたことに近いことが私にもあって、それは父の16歳と17歳の時の日記を発見したことでした。そこで16歳の父親像に初めて出会って、大きな気づきがありました。写真もそうだけど、過去から残された痕跡をいまこの瞬間にみることってなんだろうと考えます。逆に自分の子どもには、その子が今の自分より年上になる未来があるということを考えさせられます。

〜消えてしまった時間の向こうに〜

翠れん:イスラエルにファミリー・ツリーが残されていて、そこには知らない人の名前もたくさんあって、命のつながりと同時に目に見えて時間が立ち現われてきました。

 

小林:血の繋がりで過去と未来がつながっていることもそうですが、そうではない、あるときに同じ時間を過ごした誰かが過去にも未来にもいることにも、私はとても興味があります。その人の過去も未来の時間もわからないけど、旅先で短い間隣合わせになった人のことを、何年も憶えていたりすることってあると思うんです。関わった時間の長さに関係なく、そういうことって可能なんじゃないかなと。

それとつながりでいえば、自分の子どものことももちろん大事なのだけど、でもそれは自分が生んだからではなく、一緒に過ごしている時間が長いからだと思うことが多くて。その意味を知りたいと思っています。

 

翠れん:それはエリカさんの作品「親愛なるキティーたちへ」で書かれていた、お父さんの日記とアンネフランクの日記が同じ時代に書かれていた、ということとつながってくるのですか?

 

小林:そうそう。アンネもそうだし、自分の好きな作家の文章から感じられる、その作家のふとした日常に興味があります。

 

翠れん:面白いですね。潮音ちゃんはそのような感覚ってある?

 

湯川:私は日常でいっぱいいっぱいで(笑)。でも考えだしたらとても深い海ですよね。

 

小林:私が思うのは歌を歌う人にとって、レコーディングをすれば別ですが、ライブなどで歌うことは、その場限りのことじゃないですか?私は書くことで必然的に残すことに注力している部分があって、そこが自分とは対局にあるから、録音される以前の歌や、消えてしまった歌に興味があります。

 

湯川:この一瞬に火花が散ったり、そこにエネルギーをもってきています。極端な話ですが、ステージにいるときはいつ死んでもいい!という感じなんです。

 

小林・翠れん:すごーい。

 

湯川:それはライブでもそうですし、曲作りもそうです。掴まなければ消えてしまう一瞬を捉えるという作業だから、残すことを前提とはしない、一瞬一瞬の生き方ですね。

 

小林:写真も切り取るのは何百分の一秒というように、ほんの一瞬だけどそれが永遠に残るじゃないですか。写真家にとっての時間も不思議ですよね。

 

翠れん:お二人のお話をうかがいながら、写真における時間について考えていたんだけど、ちょうどお二人の間くらいの感覚があるのかな。撮る時間はほんの一瞬で摘み取っているような感覚があって、写真は時間を封じ込めてしまうけど、私の中ではその時間は止まっていない感覚が強くて。なぜなら、その光はずっと憶えているし、写真に写した人とは日常的に一緒にいるという感覚があります。写真と生活が密着しているということも関係しているのかもしれません。

 

湯川:翠れんはどのような時にいい写真が撮れた、摘み取ったって思えるの?

 

翠れん:なんだろう、フィルムで写真を撮っているというのもあると思うのだけど、上がってこないとわからないところがあります。個人的に、フィルムカメラは手の感触と同時に、撮って、現像して、プリントしてという、そのプロセス自体が私の時間にはあっているのかもしれません。

〜ここにはない、浮遊する時間。〜

小林:翠れんさんのいまと昔が同列になれるって、どんな感覚なんだろうと不思議に思います。

 

翠れん:カレンダーの時間的には離れていても、それぞれの時間は漂い続けていて、あるとき出会ってしまう、というような、、。

 

小林:私は昔の人の写真をみながらポートレートを描くことがあって、そうすると今はこの世の中にいない人が蘇ったような感覚になることがあります。

 

岡野:奈尾美さん(la fleur デザイナー)とも話してたんだけど、翠れんの写真は場所も時間も浮遊している感覚があるよね。

 

湯川:翠れん自体にも浮遊している感じがあります。本人の中にも時間軸がないんじゃないかな。初めて会った高校生の時から、外見も内面も変わってなくて、会ったときから、若いけどおばあちゃんのようでもあるし(笑)。

 

翠れん:存在自体も浮遊しているって、、、。でも、毎朝ご飯をつくって、子どもを幼稚園に送り出してと、毎日結構大変なんですよ(笑)。

 

湯川:翠れんの話方を聞いていると、ぜんぜんそんなふうに感じない(笑)。私は子どもが生まれてまだ3~4ヶ月だし、家から出られないし、生活サイクルががらっと変わりました。

 

小林:子供に関しては、私は自分では冷静なつもりでいたんだけど、振り返ってみると、冷静じゃなかったかも。子供が生まれるまで、ホルモンだとか身体の変化だとかそういう理屈ではないものと向き合うことをあまりしてこなかったので、そこに直面して戸惑いました。

 

湯川:私の中でエリカさんは論理的なイメージがありますが、それは動物的な野生をもっていたということに気づいたということ?

 

小林:私自身はこれまでずっと自分が論理的な人間だと思っていたし、頭でわかればできると信じていたけれど、わかっていてもできないことばかりで。身体的なことに振り回されるのも初めての体験で、自分が動物なんだというあたりまえに気づいて、それは衝撃的でした。

 

翠れん:当たり前のことだと分かっていても、時間が赤ちゃんを中心に回っているというのが、自分の中では不思議な体験で、いまでもその感覚はあります。いかに自分中心で、自由に時間をつかって生きてきたかということでもあると思うのですが。いまは少し大きくなって、会話ができたり、自分のことを自分できるようになったりして、また少し変わってきましたが。

 

ーーお二人にとって翠れんさんの写真とはどのようなものですか?

 

湯川:翠れんの写真は翠れんそのものです。高校生の文化祭ときに本人にも会ったことなくて翠れんの写真をみて、それから本人にお会いしてストンと来たというか。いまもその印象はまったく変わりません。翠れんの「ルミエール」というフランス語で「光」という意味のタイトルの作品集がありますが、私にとって翠れんは光そのものです。普段から私たちの身の回りにある、太陽や自然の中にあるもののひとつという感じがします。

 

小林:本当にその通りだと思います。翠れんさんは日常の風景を撮っているんだけど、それは翠れんさんが見ている世界そのものという気がします。私にとっては、こういう風に日常をみる見方があるんだって発見があります。そこにあるのはすごく当たり前のものなんだけど、こういう風にみてみれば、きらめきがあったりするんだ、こういう風に世界を見ることができるんだ、と気づかされます。翠れんさんの写真には、そんな生きることの真っすぐさや眩しさをいつも感じます。

 

翠れん:嬉しいですね。写真を通じて自然や光や影といった、大昔から変わらないものと向き合っていると、本当に一瞬ですが、それらと一体になれる気がするんです。

 

湯川:翠れんが撮った写真をみていると、いつもはざわざわとした街も、こんなに美しかったんだとハッとさせられます。それも翠れんの写真がもつ力なんだと思います。

文と写真=加藤孝司

湯川潮音/Shione Yukawa

1983年東京出身。小学校時代より東京少年少女合唱隊に在籍、多くの海外公演などを経験。2001年ポップフィールドではじめて披露された歌声が 多くの話題を呼ぶ。翌年のアイルランド短期留学から帰国後、自作の曲も発表し本格的な音楽活動をスタート。以降、美しいことばの響きを大切にした歌詞、ク ラシックやトラディショナルを起点に置いた独自の世界観で音楽を紡ぎ続けている。http://yukawa-shione.tumblr.com

小林エリカ/Erika Kobayashi

1978年東京生まれ。作家・マンガ家。 2007-8年アジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でアメリカ、ニューヨークに滞在。 現在、東京在住。2014年小説「マダム・キュリーと朝食を」(集英社)で第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補。著書は"放射能"の歴史を巡るコミック「光の子ども1,2」(リトルモア)、作品集に「忘れられないの」(青土社)。小説にアンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした「親愛なるキティーたちへ」(リトルモア)など。http://erikakobayashi.com

​©️2018 VACANT / Suilen Higashino