アフォーダンスの効用(ききめ)

杉山至「セノグラフィワークショップ」インタビュー

 

現代演劇を牽引し続ける劇団、青年団の舞台美術家である、杉山至さんを講師としてお招きし、「セノグラフィワークショップ」を行います。セノグラフィという言葉や、ワークショップの内容についてお話を伺いました。

取材・文:吉田拓

—初めて「セノグラフィ/Scenography」という言葉を聞く方も多いかと思います。

この言葉について、ご説明いただけますでしょうか?

 

僕も海外で初めて、この言葉に出会いました。特殊な言葉かと思いましたが、そうではなかった。一番流通している言葉だったんです。海外だと、舞台美術家のことを「セノグラファー/Scenographer」と言うのですね。それまでは僕も「ステージセット・デザイン」や「ステージ・デザイナー」と言うのだと思っていたのですが。気になったので調べていくと、「シーン/Scene」と「グラフィック/Graphic」だと。つまり、「シーン」を図や形に表していくことが、セノグラファーの仕事なんです。日本語だと「シーン」は舞台となってしまいますが、舞台じゃなくてもいいんですよね。日常風景にも、食事や、学校での授業などの「シーン」はあって。そういった場面の状況を、会話で捉えるのが劇作家だとすると、視覚化するのがセノグラファーなんです。

 

—風景を視覚化するということについて詳しく聞かせてください。

 

二つの発想があると思います。一つ目は「サイト・スペシフィック」と呼ばれる手法です。例えば、大自然の、本物の滝の前や、巨大な岩の上でパフォーマンスをするとします。その場合は、すでにその場所自体に「シーン」がある。つまり、場所が持っているエネルギーを使って創作を行なうということです。そういった特別な場所を探す、「シーン」を見つけ出すことも、僕はセノグラフィだと思います。有名な例としては、世界的な演出家のピーター・ブルックが石切り場の跡地に客席を組んで演劇を上演したことがあります。切り立った崖を背景にした、仮説の野外劇場です。壮大なスケールですよね。もう一つの発想は、劇場で上演する場合のことです。例えば、巨大な岩にインスピレーションを受けたからと言って、それをそのまま舞台上に再現しても仕方がないでしょう?じゃあ、その巨大な岩から受け取ったイメージをどうやったら、舞台上に創り出せるのか。その場合は新たにシーンを創り直さないといけません。単に模倣するのではなく、その風景の持っている価値や意味を自分なりに捉え直すことが必要です。

 

—風景の価値や意味を捉え直した上で、空間を創り上げるのですね。

 

その通りです。セノグラフィについて、もう少し説明を加えますね。例えば、古代ギリシャの円形劇場では舞台面を客席が取り囲んでいますが、こうしたシュチュエーションを決定すること自体が、すでにセノグラフィだと僕は思います。

 

—作品全体の構造を決めてしまうような役割なんですね。

 

そうです。そこまで関わって来ます。セノグラフィという言葉が出てきたルネッサンスの頃は、まだ演出家がいなかったんですよ。俳優とセノグラファーが演劇を創っていた。セノグラファーが作品全体のグラフィックなシーンを決めていたんです。

 

—演出家がいないということは、歌舞伎の作られ方と似ていたのでしょうか。

 

似ていたのでしょうね。平田オリザさんがよく言っているのですが、演出家は近代の仕事で、科学者とほぼ同じ時代に登場してきたそうです。どちらも客観的に世界を捉える仕事ですよね。

 

—演出家と科学者が同じ時代というのは興味深いですね。

 

セノグラファーの役割に話を戻すと、現在の演劇やダンスは劇場での上演が前提になっていますが、そこさえ疑っていいんじゃないかと思っています。劇場の舞台面や客席といった構造が、どうしてそのように造られているのか、あらためて考えてみる。劇場自体も歴史の中で変遷を続けてきているから、今も変化が起こっていいはずなんですよね。

 

—アフォーダンスとの出会いについてお聞かせください。

 

1990年代後半くらいかな。ある大学院生が青年団を研究対象にしたいと訪ねて来たんです。それで、稽古しているところをずっとビデオカメラで撮影してるんですよ。「なんの研究してるの?」と聞くと、「アフォーダンスです」と。科学的に演劇を切り取っていくような動きが、あの時代に始まったんだと思います。その動きは現在のロボット演劇に繋がっていますね。

 

—アフォーダンスを知ってから、創作に変化はありましたか?

 

出会った当時は、アフォーダンスの考え方をセノグラフィに応用したいと思って、何冊か本を読みました。しかし、アフォーダンスを直接デザインに生かそうとすることは、ちょっと違うなと感じました。人を誘導し過ぎてしまうというか。トイレの男女のマークなどの、サインコミュニケーションの様なものになってしまうというか。そうした使われ方自体には意味があると思いますが、それは僕が感じたアフォーダンスの面白い部分とは違うので。ただ、アフォーダンスを自分なりに勉強したことは、人が認知するという事柄について考えるきっかけにはなりましたね。そう言えば、僕の中で自分のデザインが変わったなと感じた瞬間があるんです。

 

—ぜひ伺いたいです。

 

2005年に地点という劇団の「雌鶏の中のナイフ」という作品に携わったのですが、自分としても、すごく面白い舞台装置を創ることができたんです。戯曲はスコットランドの作家が書いた、中世の田舎を舞台にした素晴らしいものです。劇中に出て来るものは、馬小屋と、粉を挽く機械と、扉なんかがあって。僕は大きなテーブルのような装置を作ったんだけど、それが何なのか定義できませんでした。

 

—ご自身でも定義できないものを作った?

 

そうです。その舞台装置はこういうものです。まず、大きな天板を支える4本の脚が、それぞれ流木でできていて、天板の四隅を貫くように付いている。天板の上には歯車が二つ付いていて、自転車のギアみたいに連動して回転する。天板の中心部には扉が一枚付いていて、テーブルの上と下の世界を繋いでいる。だから、テーブルなのですが、馬のようでもあり、歯車によって粉を挽く機械にも見えるし、扉まで付いている。なんだか分からないオブジェができたんです。これを作った時に、「もしかしてアフォーダンスってこういうことかな」と思いました。

 

—どうして、そのように思われたのでしょうか?

 

そのオブジェを見た人を観察していると、彼らはなんとなく歯車を回したり、天板に腰かけたり、扉を開閉したりしていたのですが、その物体の意味はよく分からないんですよね。演劇を見てくれた人も「あれは何なの?テーブル?」と言っていて。それが何なのかは言い表せない。そういった定義できないものを作ったときに「アフォーダンスっぽいな」と思ったんです。

 

—思わず触れてみたくなるということですよね?

 

そうです。それで名付けたくなるのですが、名付けられない。でも、人はそれと関係を持ちたくなる。

 

—そういう名付けられないモノを目指したのではなく、結果的にそうなったのですか?

 

結果的にそういうモノになりましたね。台本がそうさせたのだと思うのですが。その劇中の台詞も、話せば話す程、意味を剥ぎ取られていくようなもので。「空は、青い?」「私は、いる?いない?」のように女が話していくんだけど、どんどん言葉と意味が離れていってしまうような台詞なんですよね。

 

—まとめると、セノグラフィにおけるアフォーダンスというのは、狙って作るわけではないけれども、結果的にそうなると面白いものということでしょうか。

 

そうですね。狙う時ももちろんあるし、でも狙い過ぎるとあざとい。トイレのマークみたいになってしまうと、ちょっとね。少し話が変わりますが、あるダンサーを見て、アフォーダンスに対して感覚が開かれているな、と感じたことがあります。あるダンス公演で舞台上にプロジェクターで映像を投影していました。そういう時に我々は、その映されている映像に意味があると思うでしょ?でも、山海塾の岩下徹さんというダンサーは羽虫みたいに腕を広げて光の中に入っていきました。すごい!と思いました。彼は映像を意味ではなく、単なる光として捉えているのですね。これぞアフォーダンスだと感じましたね。すごく身体感覚が開かれている。

 

—環境とヒトの関係に興味を持たれたのは、いつ頃からですか?

 

舞台美術に関わる以前から関心はありました。哲学者のハイデガーの言葉を借りると「世界内存在」。「我々は世界に投げ込まれているんだ」とハイデガーは言っているのですが、その感覚が僕にもあって。

 

—その感覚は僕も感じたことがあります。

 

そのような、存在が「ある」ということに対して意識が向いていて。「ある」のは、物でも人でも、出来事でも言葉でもいいのですが。その中でも、特に視覚的なものに興味があるというのはありますね。

 

—物や人が「存在する」ということにもともと興味があったと。

 

そうです。なんで「ある」んだ?と。

 

—哲学の道に進むことはお考えになりましたか?

 

大学の時は哲学を専攻していたんですよ。先生がカントとハイデガーの研究者だったのですが、とにかく難しくて。カントの「純粋理性批判」を原文で読むのですが、全然ついていけず(笑)。でもいろいろ頑張って勉強しました。現象学も好きだったんですよね。だから、やっぱり存在に興味があったのですね。ウィトゲンシュタインの「語りえないものについては沈黙しなくてはいけない」という言葉も常に頭にありました。存在とは何かということに、ものすごく興味があるのですが、突き詰めていくと言葉が出て来なくなる。

 

どうしても感じたことを言い表せなかったという体験があります。大学3年の時に、中国とネパールとヨーロッパを1ヵ月半ずつくらい、うろうろと旅していました。その時にヨーロッパで、初めてピカソの「ゲルニカ」の現物を見たんです。絵の前で言葉が出ませんでした。ただただ、30分くらい立ち尽くしました。すげー!というのは分かるのですが、何がすごいのかが分からないわけです。そこで、ゲルニカやピカソについて本を読んだりしたのですが、どれだけ勉強しても分からないものが残る。言葉にできない。どうしてこんなに分からないのだろうと思うのと同時に、分からないこと自体に興味を持ったんですよね。

 

—その強烈な体験が芸術の道に進むきっかけになったのですか?

 

それはありますね。

 

—大学での講義も含めて、どうしてワークショップ活動をたくさんされているのでしょうか?

 

ワークショップを始めた理由があるんです。大学を卒業した後、建築に興味を持って早稲田大学の夜学に通っていました。その時にイギリス人の建築家の方が、ワークショップ型の授業をしてくださったんです。それが僕にとって、初めてのワークショップ体験でした。その時に「なんじゃこりゃ!」と思うくらい、めちゃくちゃ面白かったんです。まず、「この部屋の空間の面白いと思うところを発見し、スケッチしてみましょう」と言われて、やってみるわけです。その次は、「スケッチしたものに共通点がある人とグループになりましょう」。さらに「それぞれのグループで、選んだ空間の要素を増幅する装置を考えてみましょう」というワークショップでした。グループ内での議論のさせ方も面白くて、言葉じゃなくてもいいと。図を描く人や、立体を作り出す人がいてもいい。「各自の能力を発揮して、お互いにコミュニケーションを取りなさい」と言われて。アイデアを考えるということは四方八方、手を尽くすことなんだ。図も描けば、言葉も使うし、立体を組み立てて、それをまた言葉に戻して、ということをやらなきゃいけないんだ。っていうことを、その4時間の授業で学んだんですよね。

 

—大学で杉山さんの授業を受けた身からすると、あの授業のルーツがそこにあったんだ(!)と感じます。

 

そこにあったんです。僕はそのワークショップを受けた時に「もし大学で授業を教えるようなことがあったら、これを伝えてあげなきゃだめだ」と思った。「この楽しみを知らないと損するよ」って。だから、僕のワークショップを受けてくれた方の中には、当時の僕と似たような感想を言ってくれる人も少なくないですね。もう一つ付け加えると、ワークショップをやると自分にとっての勉強になるんですよね。

 

—今でもなりますか?

 

もちろん。今でもなります。僕が持っていないアイデアが出て来るので。当たり前なんだけど、知らないものと出会える。僕がナビゲートする、その上をいっちゃう人がいるんですよ。そういうアイデアと出会うと、「おれもまだまだだな」と思います。突拍子もないアイデアを否定するのは簡単ですが、いかにそういうものを現実化するか、考えてみる方が勉強になります。いまだにそういう出会いはしょっちゅうあります。

 

—今回のワークショップでは、参加者と共にセノグラフィを創作していただきます。原宿の街のスケッチ、舞台装置を作る実験、VACANTへの建て込み等を、白井剛さんのダンスワークショップと交流しながら行なっていただく予定です。このような試みをされたことはありますか?

 

白井さんとは、2007年に京都造形芸術大学で創作・上演した「ジュネへ応答する8日間」に通じる部分があるね、という話をしました。その公演でも白井さんとご一緒しました。その時も僕はワークショップ形式の創作をしたのですが、公演を主宰した山田せつ子さんの意向もあり、「普段できないことをしよう」と舞台装置の実験をいくつも行ないました。黒い糸を密集するように垂らしたり、大きな氷の塊を錘にした振り子を作ったりして、それらを実際にダンサーの方に試してもらいました。僕にとっては良い経験でしたし、今回の参加者の方にも、そのような「作って、試す」経験をしてほしいと思っています。

 

普通は公演のための準備しかできないので、あまり失敗ができません。しかし、ワークショップでは「いろんな可能性を探る」ということで、普段やらないテクニックや、一度試してみたかったことを、やってみることができる。それで「結局だめだった」となるかもしれないけど、必ず何か発見がある。それはやる価値があることです。

 

—ワークショップならではの試みですね。

 

また、VACANTの建物はいわゆる「劇場」ではない。そこに可能性を感じています。せっかく原宿でやりますし、行き着く先が見えないまま、どんどん変化していく街のイメージの切断面が見えてくると面白そうですよね。

 

—他に、今回のワークショップのイメージはありますか?

 

やってみないと分からないのですが、スケッチに関しては、ムーブメントをスケッチしてきてもらってもいいかな、と思っています。例えば、誰かがフライドポテトを食べている動作が面白ければ、動作としてスケッチしてもいい。会話のスケッチもありです。以前、江の島でワークショップをした時は、参加者の一人が、見かけたカップルの会話が面白いと言って、書き留めて来ました。眺めの良いところで女の子が「ねえ、見て!すっごーい」と言うと、彼氏が「すっごいね!ザ・日本だね!」と言うやり取りを繰り返すというもので(笑)。意味は分かりませんが「ザ・日本」ってすごい言葉ですよね。そういった出来事を発見して記述することもスケッチだと思います。なので、景色、動作、言葉、匂いなど対象は広いので、いろんなスケッチをしていただいて、幅広く素材を採集してもらえるといいと思っています。

 

—ダンスワークショップ講師の白井剛さんとは、過去にダンス作品「静物画-still life」を共作されたこともあります。どのような方なのでしょうか?

 

やはり白井さんは発想が開かれているというか、人とは違った視点で物事を深く掘り下げていく方だと思います。小さい出来事を、どのように増幅できるかを試しているような印象もあります。スケールのコントロールというか。白井さんから出てくる言葉が面白いんです。今回のワークショップの話をしている時には「行為の痕跡」や「逆人間工学」というキーワードをあげていました。こういう言葉が出てくるところがすごいなと思います。それから、白井さんが、何かの物事を体感に置き換えて発想するような瞬間に立ち会うことがあるのですが、そういう時には「この人はやっぱりダンサーなんだ」と感じます。

 

—ワークショップのプログラムの中で、セノグラフィのレクチャーをして頂きますが、具体的にどのような内容になりそうでしょうか?

 

「景と言葉をめぐって」というレクチャーにしようかと考えています。日本人のものの見方についてお話します。和歌や俳句の中には「景」、つまりグラフィックが組み込まれているんですね。他にも「森」というものに対するイメージが西洋と日本では異なります。その辺りの日本人の空間認識や自然との関わりについて、身体性の話とも絡めながら、詳しくお話する予定です。他にも「触覚」についてのワークショップもやりたいと考えています。触覚は最も原始的な感覚だと思うのですが、触覚を視覚など、他の感覚と繋げてみるような内容になるかと思います。

 

—参加を検討している方にメッセージをお願いします。

 

ワークショップでは、いろんな人と知り合える。それが重要なことです。異なる興味を持っている人達と、同じ課題に対して、違った角度から検討できる。これは非常に貴重な機会なんです。例えば、映画が好きな人、音楽が好きな人、絵描きの人、ダンサーの人、そういった異なる活動をしている人達が、原宿という街から何かを持ちかえって、共に空間を創る。これはとても面白いことだと思います。参加者の方が、僕の舞台美術を見たことがあってもなくても構いません。僕はナビゲーターとして、参加者の方達が行き交う場を創ります。

 

知人の音楽家に教えてもらったのですが、複数人で即興演奏をする際に大切なことが3つあるそうです。よく共演者の演奏を聴くこと、オープンであること、そして、相手の事をリスペクトすること。今回のワークショップもこれらのことを大切に進めたいと思っています。

 

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杉山至さんへのインタビューは以上です。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

ワークショップへのご参加を心よりお待ちしております。詳細は「アフォーダンスの効用」WEBページをご覧くださいませ。

https://www.vacant.vc/single-post/affordance​

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杉山至(すぎやま・いたる)

国際基督教大学卒。在学中より劇団青年団(平田オリザ主宰)に参加。2001年度文化庁芸術家在外研修員と してイタリアにて研修。近年は演劇で は青年団、地点、サンプル、風琴工房、城山羊の会、東京タンバリン、てがみ座、ダンスではダンスシアターLUDENS、平山素子、MOKK、 白井 剛、森川弘和、またミュージカル・テニスの王子様、オペラでは日生オペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』、ドイツ・ハンブルク劇場主催『海、静かな海』の舞台美術を手掛る。舞台美術ワークショップも多数開催している。また、近年は劇場等 のリノベーションも手がけている。劇団地点『るつぼ』にてカイロ国際演劇祭ベストセノグラフィーアワード2006受賞。第21回読売演劇大賞・最優秀スタッフ賞受賞(2014年)。 桜美林大学、四国学院大学、京都造形芸大 非常勤講師、舞台美術研究工房・六尺堂ディレクター、NPO法人S.A.I.理事、二級建築士。